やさしい歌を歌いたい
高い雲、広いイシ、輝くソラ、そんなところにワタシは行きたい
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岩室稲荷神社
京都府舞鶴市にある岩室稲荷神社に行きました。
小浜との境目に位置し、すぐ近くに青葉山の松尾寺があるので、こちらはあまり知られていないかもしれません。
場所は松尾寺のすぐ側になります。
由緒や伝説の参考は、
丹後の地名資料集さんから
http://www.geocities.jp/k_saito_site/doc/tango/iwakuboinarij.html
舞鶴市内の稲荷神社のなかでは最も歴史が古いとされ様々な伝説が伝わる。
かつては東舞鶴の商業者は必ずお参りしたといわれる。裏山の400段ほどの石段には赤い鳥居が立ち並んでいて、登ると岩室があり、岩屋大明神がまつられている。
田辺藩主・牧野家の信仰が薫く、参勤交代の際に守護したといわれる。
丹後若狭の漁業関係者の信仰が篤い。
海軍の信仰も厚かった。
舞鶴の民話より「岩室三太夫」
この吉坂のお稲荷さんは、赤い鳥居か何十となく坂道に並んでおり、岩窪稲荷大明神という。
社の裏には、奥深い洞穴があり、ここに白キツネが住んでいた。
いつごろからか吉坂のある農夫が、この白キツネに食事を与えるようになった。
そして白キツネは毎月一日になると白髪の翁に化けて農夫を訪れ、くわしく吉凶を和らせるようになった。
稲の田植え、刈取り、米の売りどきなどを農夫に救え、農夫がその通りすると、農夫の家はお金がいっぱい入りだした。
それを聞いた近燐の村人たちは、お正月にはかならずお参りするようになり、その年の豊作を祈った。
それは現在も続き、ここにお参りする人は多い。
この白キツネの俗名を「岩窪三太夫」といい、田辺藩主の参勤交代で江戸に行くときは、常に見え隠れしてついていった。
江戸屋敷ではそのころ、よく藩対抗のすもう大会が開かれたが、いつも田辺の三太夫か相手を次々と倒した。この三太夫が実はこの白キツネだといわれている。

鳥居をくぐってすぐ左手の建物に軍人さんたちの写真が飾ってありました。
舞鶴は軍港として栄えた町なので、海軍のかたたちも多くお参りされていたのでしょう。
最近知ったのですが、ここ舞鶴にも戦時中に空襲があり、模擬原爆が落とされたようです。
http://blog.goo.ne.jp/ryuzou42/e/65ad25043c2e71220bd649832676d4c8

こちらのほうが本道のようです。

本道の階段は急傾斜で雪が積もっているので、もう一方から上りました。
階段を上るとすぐ、二つの社がありました。
ここはキツネの像があちこちにあります。

鳥居を数えてみると、40本くらいありました。
朽ちて横たわっているものがありましたので、その度に氏子が新しいものを寄付しているようです。
この階段の両脇は崖のようです。
木で覆われているのでわからないのですが、長細い岩場を登って行くようでした。
キツネではなく、イヌの像が2体ありました。
台座部分にはどこからか持ってきたような文が書かれていましたが、台座をつけただけかもしれません。
触ってみたら、石ではなく木製でした。

階段を上り終えると本殿がありました。
雪の重みでなのか、曲がっています。

本殿の左手前の2基の灯篭
本殿の左側に岩室がありました。
岩に穴が開いています。
この岩の裏手に手が入る程度の穴が開いていて、小さな鳥居が置かれています。
穴の深さはわかりません。
岩は形がはっきりしていません。でこぼこしています。
高さは180センチくらい。
幅は3メーターくらい。
そして、岩を割っているように2本のカゴノキが生えていました。
カゴノキ
http://had0.big.ous.ac.jp/plantsdic/angiospermae/dicotyledoneae/choripetalae/lauraceae/kagonoki/kagonoki.htm
カゴノキは生長すると樹皮がまだらにはげてくる。和名は、鹿子の木の意味であり、樹皮がシカの子供のまだら模様のようであることを指している。

青葉山方面のソラ
小浜との境目に位置し、すぐ近くに青葉山の松尾寺があるので、こちらはあまり知られていないかもしれません。
場所は松尾寺のすぐ側になります。
由緒や伝説の参考は、
丹後の地名資料集さんから
http://www.geocities.jp/k_saito_site/doc/tango/iwakuboinarij.html
舞鶴市内の稲荷神社のなかでは最も歴史が古いとされ様々な伝説が伝わる。
かつては東舞鶴の商業者は必ずお参りしたといわれる。裏山の400段ほどの石段には赤い鳥居が立ち並んでいて、登ると岩室があり、岩屋大明神がまつられている。
田辺藩主・牧野家の信仰が薫く、参勤交代の際に守護したといわれる。
丹後若狭の漁業関係者の信仰が篤い。
海軍の信仰も厚かった。
舞鶴の民話より「岩室三太夫」
この吉坂のお稲荷さんは、赤い鳥居か何十となく坂道に並んでおり、岩窪稲荷大明神という。
社の裏には、奥深い洞穴があり、ここに白キツネが住んでいた。
いつごろからか吉坂のある農夫が、この白キツネに食事を与えるようになった。
そして白キツネは毎月一日になると白髪の翁に化けて農夫を訪れ、くわしく吉凶を和らせるようになった。
稲の田植え、刈取り、米の売りどきなどを農夫に救え、農夫がその通りすると、農夫の家はお金がいっぱい入りだした。
それを聞いた近燐の村人たちは、お正月にはかならずお参りするようになり、その年の豊作を祈った。
それは現在も続き、ここにお参りする人は多い。
この白キツネの俗名を「岩窪三太夫」といい、田辺藩主の参勤交代で江戸に行くときは、常に見え隠れしてついていった。
江戸屋敷ではそのころ、よく藩対抗のすもう大会が開かれたが、いつも田辺の三太夫か相手を次々と倒した。この三太夫が実はこの白キツネだといわれている。

鳥居をくぐってすぐ左手の建物に軍人さんたちの写真が飾ってありました。
舞鶴は軍港として栄えた町なので、海軍のかたたちも多くお参りされていたのでしょう。
最近知ったのですが、ここ舞鶴にも戦時中に空襲があり、模擬原爆が落とされたようです。
http://blog.goo.ne.jp/ryuzou42/e/65ad25043c2e71220bd649832676d4c8

こちらのほうが本道のようです。

本道の階段は急傾斜で雪が積もっているので、もう一方から上りました。
階段を上るとすぐ、二つの社がありました。
ここはキツネの像があちこちにあります。

鳥居を数えてみると、40本くらいありました。
朽ちて横たわっているものがありましたので、その度に氏子が新しいものを寄付しているようです。
この階段の両脇は崖のようです。
木で覆われているのでわからないのですが、長細い岩場を登って行くようでした。
キツネではなく、イヌの像が2体ありました。
台座部分にはどこからか持ってきたような文が書かれていましたが、台座をつけただけかもしれません。
触ってみたら、石ではなく木製でした。

階段を上り終えると本殿がありました。
雪の重みでなのか、曲がっています。

本殿の左手前の2基の灯篭
本殿の左側に岩室がありました。
岩に穴が開いています。
この岩の裏手に手が入る程度の穴が開いていて、小さな鳥居が置かれています。
穴の深さはわかりません。
岩は形がはっきりしていません。でこぼこしています。
高さは180センチくらい。
幅は3メーターくらい。
そして、岩を割っているように2本のカゴノキが生えていました。
カゴノキ
http://had0.big.ous.ac.jp/plantsdic/angiospermae/dicotyledoneae/choripetalae/lauraceae/kagonoki/kagonoki.htm
カゴノキは生長すると樹皮がまだらにはげてくる。和名は、鹿子の木の意味であり、樹皮がシカの子供のまだら模様のようであることを指している。

青葉山方面のソラ








