やさしい歌を歌いたい

高い雲、広いイシ、輝くソラ、そんなところにワタシは行きたい

Ads by Google

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

石くど

兵庫県篠山市にある巨遺跡
正面
k石くど (4)

正面から向かって左
k石くど (6)


http://sora.ishikami.jp/image_dir/index.php?id=20080905115428
アイルランドに沢山あった巨古墳とよく似ていて、やはりここでも馬が創られたと。
物部の守屋がここで創られた馬に乗ってヤマトへ行ったと伝えてきました。
この近くに新宮古墳の円墳があります。




大用寺 十六羅漢

生野銀 山周辺をうろるろしていたとき、
持ち帰ったパンフレットに載っていたので行ってきました。
製作年代不明で、ここに奉られることになったそうです。
本殿の工事中で、ばたばたしていました。
k大用寺十六羅漢(1)

k大用寺十六羅漢(2)

k大用寺十六羅漢(3)

k大用寺十六羅漢(4)


水分れ

SANY0141.jpg


SANY0142.jpg



場所の地図はここを参照
「表示エリアを切り替える」で、「柏原」をクリック、
水分かれ資料館とある周辺


SANY0144.jpg


わかりずらいが、向山、清水山方面の上空で雲が馬蹄形になり、伸びていた。


SANY0152.jpg

竹田城跡

大阪から電車で2時間。
兵庫県朝来市和田山町にある竹田城跡。
標高353.7mの山上にある山城跡。

山城について
参考 http://sora.ishikami.jp/image_dir/index.php?id=20070724201234
ペルーのマチュピチュを初めとして、あらゆる山城は全て同じで、イシカミの頭の部分に建物に変化した。

戦国時代に基礎からならして石を組んでいっていると、すぐに敵にばれて襲撃されるので、最初から高い石垣があったと見るほうがわかりやすい。
日本だけでも記録に残っている城は二万五千にも達する。

改立雲峡からの竹田城跡2

南北400m、東西100m
但馬の守護山名持豊(山名宗全)が室町時代に築城。
日本名城100選に選ばれた。
石垣の積み方は安土城と同じ技術で、石の声を聞きながら積むといわれる近江穴大衆の手による穴大流石積技法(穴太アノウ積み)が用いられている。
野面積みで、石材は現地と山麓付近から集めたと考えられ、花崗岩で最大のものは5トンと推測される。
石垣は400年を経た現在でも、当時のままを誇る。
中央が天守台
周囲に高見殿(本丸)
平殿、奥殿、花殿を配し、南北の端を南千畳・北千畳としている。

映画「天と地と」で使われる。
早朝には雲海の上に浮かぶ姿が見られることがある。
竹田門

竹田城の門

竹田坂

はじめは駐車場から一部
城壁の姿が見られたので、すぐだろうと高をくくっていた。


竹田0073

上る坂は狭く(近道)、しかもまだ雪が残っているため、余計に足をおくところが限られてくる。
上から人が降りてくると、行き違いに気を使う。
階段は木の板がはってあっただけ。
一端の登山だ。
イシカミ周りをし始めてから、坂は覚悟。
しかし、普段運動不足の自分にはさすがにきつく、息が続かない。
あっという間に足ががくがく、呼吸脈拍共に激しく途中で降参寸前。
とにかく息を落ち着けようと立ち止まり、体の細胞にお願いする。
(あなたたちの好きなイシカミの姿を見たいから、協力して)

すると、意外に回復は早い。
あとは、一気に上まで上がれた。
ただ、途中、雪が溶けてゆかるみに足をとられる。
転ばないようおそるおそる歩を進める。

竹田坂眺め


坂からの眺め


竹田0075


石積みが見えた。

竹田SANY0076


何とか上がれた。
とにかく風が強い。
吹き飛ばされそうだ。
全体の様子はなかなかカメラに収められない。
どこをどう撮っているか分からないまま、シャッターをきる。


竹田SANY0077



改SANY0081

改SANY0091

天守閣のあったところは梯子が掛かっていた。

竹田0093



竹田0095


正直な感想としては、ここに住むなど考えられない。
お姫様をさらってきて幽閉するにはいいかもしれないが、
風が強く、生活できたものじゃないなと思う。

帰路の駐車場でみた雲。
竹田0106

右下の雲がスパンと下の部分が平らに切れている。
これもまぶしくて狙いが定まらずすみません。
近くに古墳がある。






生野銀山

生野銀山へ行ってきました。

国内でも有数の銀鉱脈です。

大同2年 開坑。
天正6年 織田信長 代官を設置
10年 豊臣秀吉 代官を設置
慶長五年 徳川家康 銀奉行を設置
享保元年 奉行を廃止し、代官を設置
明治元年 政府直轄
フランス人技師による機械化
6年 生野・播磨間 馬車道新設
9年 伊藤博文を迎え、開業式
22年 皇室財産となる
29年 三菱合資会社に払い下げ
大正2年 錫精錬所開設
4年 浮遊選鉱所開設
昭和45年 はね現象
はねとは、
http://www.watanabesato.co.jp/pavements/knowledges/cpdstr.html さんより
トンネルなどを掘削したあと、壁の面から突然、大音響とともに岩が飛び出してくる現象。
から強い力を受けて圧縮されていたものが発破などで開放されると、今度は内部から開放された面に向けて押し出す力が働くと起こる。岩はねともいう。

48年 坑内生産中止
49年 史跡としてオープン

改生野銀山40


改生野銀山41

ひと一人がやっと通れるくらいの穴を掘り、必要最低限の掘り方を行っていたと思われます。

改生野銀山46

狸堀というそうです。

近代では、このように仕事の様子が変わります。
改生野銀山50


改生野銀山54

とても深い穴で、底が見えません。


外へ出て、をぐるりと回り込むことができます。
かなりきつい坂を上るので、あまり人が来ていませんでした。
の岩盤にはあちこちに古い時代に穴を掘った跡があります。
改生野銀山58


一日にノミで掘ることが出来るのは30センチという話でした。
気が遠くなりそうです。
秀吉の時代に鉱夫が岩場に掘ったという文字がうっすらと残っていました。
もっともっと古い時代のものは残っていたりするのにね。
改生野銀山59



改生野銀山64

この先に穴があって、そこからヘビが出てきました。
イシカミの中にヘビが入って、いたずらをしていたのでしょう。
「すべての鉱のヘビを消滅した」

中はこのようになっているそうです。
アリの巣のようですね。
改生野銀山66

上記の写真がある資料館にリュージンに乗っているカンノンの刺繍が飾ってありました。


改選鉱場27

神子畑(ミコバタ)選鉱場です。
明延鉱で採掘された鉱石が運ばれ、「東洋一」と謳われましたが、今は建物も撤去されて跡地になっています。



改ムーセ36

ムーセ旧宅。
外国人鉱技師の官舎でしたが、今は展示物が置かれています。



改ムーセ35錫




改ムーセ電車34

1円電車の模型


 | HOME |  »

プロフィール

oaurkvx

Author:oaurkvx
地球には隠された真実があります。
http://sora.ishikami.jp/

最近の記事

FC2ブックマークに追加する

FC2ブックマークに追加

FC2カウンター

ブロとも申請フォーム

Powered By FC2ブログ

今すぐブログを作ろう!

Powered By FC2ブログ

ブログ内検索

By FC2ブログ

今すぐブログを作ろう!

Powered By FC2ブログ