やさしい歌を歌いたい
高い雲、広いイシ、輝くソラ、そんなところにワタシは行きたい
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友達物語
友達(You fellows)物語、
英語版です
http://sora.ishikami.jp/e/you/
空の意識体から知らされた「地球物語」という本では、これまでの歴史の中で
隠されてきた事柄を明らかにしています。
この友達物語(You fellows)物語はその中の一部分です。
昔々大昔、世界の文化は今の私達が想像しているより、もっと進んでいました。
しかし、当時の人々は生活の様子を文字にする手段を持ちませんでした。
それで、これまで我々が出来たのは、科学者の調査に基づく想像のみでした。
その文化の発達したイスラエルの国の人たちは仲良く暮らしていました。
けれども、その人たちの中でもいろいろな性格の人たちがいて、毎日平凡に暮らすのが好きな人と、もっと国から外に出て貿易をしてみたいと思う人に分かれました。
国の外に出てみたいと思う人たちをユー族といいました。
ユー、すなわちあなたとお付き合いしたいと言う積極的な人たちでした。
その土地で同じように暮らしていたいと思う人たちは、そのままその土地に
残りました。
ユー族の人たちは大きな船を作り、貿易のために海外に出かけていきました。
当時エジプト地方にはもっと多く雨が降り、多くの動植物が穏やかに育っていました。
ナイル川には船が都市の近くまで出入りできるような大きな支流がありました。
http://smilingcloud.web.fc2.com/index.htm
さんより
http://smilingcloud.web.fc2.com/gallery.html
ユー族の人たちはその支流をさかのぼって行き、そこで仕事をしようと思いました。
しかし、その頃はエジプトを悪い王様が治めていたために、ユー族の人は皆捕らえられて奴隷にされてしまいました。
それ以後エジプトでは雨が少なくなり、また、木を切り倒した事で砂漠化が進み、船は砂漠の中に
残されたのです。
ユーという言葉が長い間に変化し、彼らユー族は現在ユダヤ人と呼ばれています。
これで何故ユダヤ人が国を持たなかったか、イスラエルの地に戻りたかったかが分かるでしょう。
それ以後の歴史は、イスラエル人(モーセとユダヤ人)のエジプト脱出の話や他の多くの物語でご存知と思います。
イスラエルを去らず残った人達は、後にイスラム教を取り入れ生活の基盤としました。
彼らは今パレスチナ人と呼ばれています。
ユダヤ人とパレスチナ人は異なる宗教を持っていますが、彼らは元々同じ国で生まれ仲の良い友達だったのです。
それ以後いろいろな宗教が生まれた事は"地球物語"に書いています。
おしまい。
【追記】
最近のソラの情報では、ユー族などはイシジンで、エジプトに渡った船もイシジンが変化した者モで、舳先が異常に長いのは、イシジンの巨人が引っ張ってエジプトに運んだとも伝えられています。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
エルサレムのユダヤ人は”嘆きの壁”を大切にしますが、その壁の向こうにはイスラム教の聖地の”岩のドーム”があります。
キリスト教、ユダヤ教、イスラム教が共にそのエルサレムを聖地とするのは、そこで神の名乗る存在からチャネリングが始まったからです。
そしてその神と名乗る存在こそ、その下に潜っているその巨石がイシカミの中東の王だからです。
そのイシカミが色々な人に、チャネリングで呼びかけたために、その地から複数の宗教が生まれたです。
2000年にシャロン首相が、イスラムの聖地といわれる所に強引に訪れた事が、パレスチナ人の反感をかって、かっては自爆テロが続発しました。
けれどもなぜシャロン首相のイシキ=霊が無理にそこを訪問したかというと、シャロン首相の過去が、その地で過ごしたその場所を訪れたいとイシキが思ったからと、シャロン首相のイシキが伝えてきました。
(顕在意識はどのように思ったかはわかりません)
そしてエジプトの砂漠から、現実に波で傷ついた大型の船が出てきている事も、この情報の真実を増しています。
太陽の船
http://sora.ishikami.jp/image_dir/index.php?id=20061111212352
この友達物語と供にこれらの情報は、2003年、2004年に世界連邦の招きで来日したパレスチナ、イスラエルの戦争遺児達、10数人に”友達物語”の冊子を渡して説明しています。
その後もイスラム諸国の大使館に地震と雲の本と共に贈らせていただいています。
イラクなどでは遺跡のトランプが配られたようで、これまで土や石だけの意味のわからない遺跡は放置されていましたが、これらが大切だということを知らせて、この情報を知ることにより宗教の束縛から逃れられてテロがこの頃、一時的に少なくなったと思っています。
故アラファト議長が生前【預言者さえも間違っていた】と言ったと報道されましたが、チャネリングではこの情報を知ったからと伝えられたのと、冊子を渡した数ヶ月後の時期的には一致しました。
アラファトの言葉
預言者さえも間違える
目には目を、歯には歯を、というのは、復讐の教えでない。
見るものを貰ったら、見るものをお返しする。
食べ物を貰ったら食べ物をお返しする。地球の富を独占しないということだと、パレスチナへ友達物語を送ってしばらくしてからのアラファトの言葉でしたが、しっかりと記録が残っています。
We must show the courage to recognise our mistakes, there is no one free
from mistakes, from me on down. Even the prophets made mistakes.
こちらより転載しました
http://sora.ishikami.jp/stories/you.html
未だに出口の見えないパレスチナ問題です。
何故このような無駄な争いをいつまでも続けなければいけないのか?
わたしたちは過去の戦争でも経験しているように、いつの間にか支配者の都合のいいように操られてしまっているのです。
それはパレスチナにおいても同様です。
けれど、きれいな言葉だけでは解決できないのです。
わたしは真実こそが真の平和の旗印だと思います。
英語版です
http://sora.ishikami.jp/e/you/
空の意識体から知らされた「地球物語」という本では、これまでの歴史の中で
隠されてきた事柄を明らかにしています。
この友達物語(You fellows)物語はその中の一部分です。
昔々大昔、世界の文化は今の私達が想像しているより、もっと進んでいました。
しかし、当時の人々は生活の様子を文字にする手段を持ちませんでした。
それで、これまで我々が出来たのは、科学者の調査に基づく想像のみでした。
その文化の発達したイスラエルの国の人たちは仲良く暮らしていました。
けれども、その人たちの中でもいろいろな性格の人たちがいて、毎日平凡に暮らすのが好きな人と、もっと国から外に出て貿易をしてみたいと思う人に分かれました。
国の外に出てみたいと思う人たちをユー族といいました。
ユー、すなわちあなたとお付き合いしたいと言う積極的な人たちでした。
その土地で同じように暮らしていたいと思う人たちは、そのままその土地に
残りました。
ユー族の人たちは大きな船を作り、貿易のために海外に出かけていきました。
当時エジプト地方にはもっと多く雨が降り、多くの動植物が穏やかに育っていました。
ナイル川には船が都市の近くまで出入りできるような大きな支流がありました。
http://smilingcloud.web.fc2.com/index.htm
さんより
http://smilingcloud.web.fc2.com/gallery.html
ユー族の人たちはその支流をさかのぼって行き、そこで仕事をしようと思いました。
しかし、その頃はエジプトを悪い王様が治めていたために、ユー族の人は皆捕らえられて奴隷にされてしまいました。
それ以後エジプトでは雨が少なくなり、また、木を切り倒した事で砂漠化が進み、船は砂漠の中に
残されたのです。
ユーという言葉が長い間に変化し、彼らユー族は現在ユダヤ人と呼ばれています。
これで何故ユダヤ人が国を持たなかったか、イスラエルの地に戻りたかったかが分かるでしょう。
それ以後の歴史は、イスラエル人(モーセとユダヤ人)のエジプト脱出の話や他の多くの物語でご存知と思います。
イスラエルを去らず残った人達は、後にイスラム教を取り入れ生活の基盤としました。
彼らは今パレスチナ人と呼ばれています。
ユダヤ人とパレスチナ人は異なる宗教を持っていますが、彼らは元々同じ国で生まれ仲の良い友達だったのです。
それ以後いろいろな宗教が生まれた事は"地球物語"に書いています。
おしまい。
【追記】
最近のソラの情報では、ユー族などはイシジンで、エジプトに渡った船もイシジンが変化した者モで、舳先が異常に長いのは、イシジンの巨人が引っ張ってエジプトに運んだとも伝えられています。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
エルサレムのユダヤ人は”嘆きの壁”を大切にしますが、その壁の向こうにはイスラム教の聖地の”岩のドーム”があります。
キリスト教、ユダヤ教、イスラム教が共にそのエルサレムを聖地とするのは、そこで神の名乗る存在からチャネリングが始まったからです。
そしてその神と名乗る存在こそ、その下に潜っているその巨石がイシカミの中東の王だからです。
そのイシカミが色々な人に、チャネリングで呼びかけたために、その地から複数の宗教が生まれたです。
2000年にシャロン首相が、イスラムの聖地といわれる所に強引に訪れた事が、パレスチナ人の反感をかって、かっては自爆テロが続発しました。
けれどもなぜシャロン首相のイシキ=霊が無理にそこを訪問したかというと、シャロン首相の過去が、その地で過ごしたその場所を訪れたいとイシキが思ったからと、シャロン首相のイシキが伝えてきました。
(顕在意識はどのように思ったかはわかりません)
そしてエジプトの砂漠から、現実に波で傷ついた大型の船が出てきている事も、この情報の真実を増しています。
太陽の船
http://sora.ishikami.jp/image_dir/index.php?id=20061111212352
この友達物語と供にこれらの情報は、2003年、2004年に世界連邦の招きで来日したパレスチナ、イスラエルの戦争遺児達、10数人に”友達物語”の冊子を渡して説明しています。
その後もイスラム諸国の大使館に地震と雲の本と共に贈らせていただいています。
イラクなどでは遺跡のトランプが配られたようで、これまで土や石だけの意味のわからない遺跡は放置されていましたが、これらが大切だということを知らせて、この情報を知ることにより宗教の束縛から逃れられてテロがこの頃、一時的に少なくなったと思っています。
故アラファト議長が生前【預言者さえも間違っていた】と言ったと報道されましたが、チャネリングではこの情報を知ったからと伝えられたのと、冊子を渡した数ヶ月後の時期的には一致しました。
アラファトの言葉
預言者さえも間違える
目には目を、歯には歯を、というのは、復讐の教えでない。
見るものを貰ったら、見るものをお返しする。
食べ物を貰ったら食べ物をお返しする。地球の富を独占しないということだと、パレスチナへ友達物語を送ってしばらくしてからのアラファトの言葉でしたが、しっかりと記録が残っています。
We must show the courage to recognise our mistakes, there is no one free
from mistakes, from me on down. Even the prophets made mistakes.
こちらより転載しました
http://sora.ishikami.jp/stories/you.html
未だに出口の見えないパレスチナ問題です。
何故このような無駄な争いをいつまでも続けなければいけないのか?
わたしたちは過去の戦争でも経験しているように、いつの間にか支配者の都合のいいように操られてしまっているのです。
それはパレスチナにおいても同様です。
けれど、きれいな言葉だけでは解決できないのです。
わたしは真実こそが真の平和の旗印だと思います。
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